僕は自分の事を『運を持っている』と思っています。
『親』や『先生』など、僕を『導いてくれた』人にも恵まれています。
産まれた家が音楽家の家だったり、担任の先生がギター弾きだったり。
初めて教わったダンスの先生は、『父親の知り合い』でした。
その先生は、どこからどう見ても『ダンスが踊れる人』に見えなかったですね。
『踊れなさそうなのに踊れる』
のちの『おやじダンサーズ』登場のきっかけでもあります。
母親がダンサーで姉は女優、義理の兄貴はプロ野球選手でした。
普通の環境で育っていない事も、僕にとってはありがたい事でした。
しかし、それらを『偶然』だとは思っていません。
『普通じゃない』所には、同じような雰囲気の人が集まるモノです。
僕は、何をするのにも『弊害』はありませんでした。
普通『歌手になりたい』と言うと、『何を言ってるんだ!』という話になりそうですが、うちでは当然のように『そうか!がんばれ!』でしたね(^^)
『一人暮らし』をする事も、誰にも反対されませんでした。
決して裕福な家庭ではありませんでしたが、『家賃はいらない、そのかわりがんばれよ!』的な、『偶然』が重なって実現した事です。
しかし、いま思えばそれは『偶然』ではなく、『運』と『努力』のおかげだったと思っています。
『運』と『努力』!
せっかく『運』があっても『努力』がなければ『偶然』はやって来ない。
これが僕の考え方です。
例えば、『歌手になりたい』という人がいたとします。
路上ライブをやっていると、たまたまそこにレコード会社の人が通りかかりました。
これは、『運』ですね。
『いい声だな』
『声』はその人が産まれ持っているモノで、これもまた『運』だと思います。
その人はしばらくライブを見ていました。
ここで、『努力』の登場です。
その歌い手の『音程』が素晴らしく良かったとします。
この『音程』は訓練によるモノです。
その人が普段から歌の練習をしっかりやっていたら、『あの、私こういう物です』と、よくあるパターになる訳です。
のちに、『偶然通りかかったら路上ライブをやっていて、、』という話になるでしょう。
しかし、そうでない場合、その人はそのまま通り過ぎてしまい、『偶然』に出会う事はなくなる訳です。
見逃しているかも!?
『運』や『偶然』って、目に見えないから気付きずらいんですよね^^;
だから、唯一目に見えて実感できる『努力』が大切なんだと思います。
そうは言っても、僕も『努力』は足りないですよ、多分^^;
そもそも『ここまでやらないとダメ!』っていう指標がないのも頑張れない要因ですよね。
ダイエットも同じです。
『努力』は『体重』という数字として目にする事ができますが、『終わり』がないんですよね。
例え『目標〇〇キロ!』としても、そこに到達したらそれを『維持』する為にさらに『努力』が必要なんですよ。
何かと何かを掛け合わせたら『偶然』出来ちゃいました、なんて感じで『痩せ薬』が出来てくれると『努力』した甲斐があるんですけどね(^^)