子供の頃から『〇〇長』という肩書きになった事がありません。
あったとしても『副』が付きますね。
『副班長』とかです(^^)
誰かのサポートをするのは好きなんですが、先頭に立って引っ張って行くような事は苦手でした。
そもそもリーダー気質ではないので、何かを『決定』する事はありませんでした。
リーダーが決定した事に対して『どう?』と聞かれた場合のみ、『良いと思います』と答える感じです。
責任を負いたくないんでしょうね^^;
誰かの後ろに隠れている事が楽だったんだと思います。
校歌を大声で歌う事ができない。
手を挙げて発言する事もない。
先生に刺された時のみ『ボソボソ』と答える程度。
休み時間には大はしゃぎで、やり過ぎて怒られる。
典型的な普通の子供でした。
そんなヤツが、まさかダンスの仕事をするなんて、当時の友達は想像すらした事が無かったと思います。
思春期にジャズダンス!
僕がダンスを始めたのは14才の頃。
中学2年生でした。
人前で踊るなんて考えた事もありませんでした。
恥ずかしかったですよ!
ダンスって、たまに変なポーズをしたりするんですよ。
振り返って腰を入れて決めポーズとか。
顔から火が出そうでしたね。
それでも続けられたのは、ハマる瞬間があったからです。
音楽とダンスがバッチリ合った時、なんとも言えない気持ちになりました。
『ダンスって楽しい』
そう思うようになったんです。
争う事が苦手な僕が、『人より上手くなりたい』と思うようになり、それからは練習に没頭しましたね。
そして16才の時、初めてプロとしてダンスの仕事をいただきました。
人前で踊ってお金を貰ったんです。
嬉しかったですね。
お金を貰った事より、やっと『スタートラインに立てた』という事が。
心のどこかにあった『目立ちたい』という気持ちが、ダンスを踊る事で満たされていきました。
覚えて欲しい!
鈴木寛がパパイヤ鈴木になり、60キロだった体重が100キロを超えた頃、僕は普通ではなくなっていました。
以前、レコード会社のプロデューサーに言われた、『芸能界で一番大切なのは、覚えてもらう事』という言葉。
今でも忘れていません。
たまに『もう少し痩せたら?』と言われますが、僕には『もう少し普通になったら?』と聞こえます。
アフロを辞めた時も、少し普通になる事が恐怖でした。
大切なのは中身だとわかっているものの、第一印象も捨てられません。
そもそも『ビビリ』なので、何をするのも心配なんですよね^^;
『副』ですから(^^)
おやじダンサーズのリーダーをやってはいますが、それは振付師だから出来る事です。
気持ちはプレイングマネージャーですよ。
彼らの背中を押しているんです。
ダンスを作って、社長に『どうかな?』って聞いて、『良いんじゃない』と言われて安心してね。
やっぱり僕の居場所は、誰かの後ろなんですよ(^^)
それが楽なんですよね。