2000年5月20日、ちょうど20年前の今日、母は亡くなりました。
72才でした。
その日僕は女性アーティストのプロモーションビデオの撮影で千葉県にいました。
朝から雨模様でどんよりと曇っていましたが、それがかえって曲のイメージにピッタリで、撮影は順調に進んでいきました。
夕方くらいに雨が強くなってきた為撮影は一時中断、その時携帯を見たら留守電が入っていました。
母が危篤になり、早く帰ってくるようにとの事でした。
2日前にお見舞いに行った時は元気にしていたのですが、容態が急変したようです。
撮影中なので帰れないことを伝え、現場に戻りました。
僕の父はミュージシャン、母はダンサーでした。
2人とも芸を生業にしていた為、僕がこの世界に入る時、『こういう仕事は親の死目に会えないからな』と強く言われていました。
僕は撮影が終わるまで帰るつもりはありませんでしたが、その後も雨が止まずその日の撮影は中止になりました。
『はやく来い!』という事なのかな?
千葉から新宿までロケバスで送ってもらい、そこからタクシーで病院まで行きました。
病院に着いたのは23時過ぎ、ロビーには親戚が集まっていました。
病室に行くと母はまだ息をしていましたが、意識はありません。
先生が「息子さん来たよ」』と母に話しかけると血圧が少し上がりました。
『わかってるのかな?』と先生に聞くと『お母さんわかってますよ』と先生は涙目になっていました。
母は誰とでもすぐにお友達になれる人で、そのせいか病院の人からは『お母さん』と呼ばれていました。
僕がお見舞に行くと看護師さんたちを病室に呼び、僕にサインを書かせて喜んでいました。
まさかその2日後にこんな事になるなんて。。
30分位たって母は息を引き取りました。
そのとき、最初に泣いたのは看護師さんでした。
母を霊安室に連れて行く為廊下に出ると、看護師さんたちが並んで『お母さん!』と泣いていました。
母は愛されていましたね。
本当にイイ人生だった。
僕は悲しいというより、正直ホッとしました。
病気やお金のことで悩まずにこれでゆっくりできる、そう思ったからです。
母が亡くなり戸籍を整理していた時すごい事がわかりました。
それは、母がバツイチで年をごまかしていた事です。
そんな事あります?
オカンらしいな〜と笑いましたね。
だから、どこかに親戚がいるかもしれないですよね?
とにかく最後まですごいオカンでした。
今でもちょくちょく夢に出てきますよ。
いつも文句言ってますけどね^^;
まあ、それがオカンらしくていいんですけどね。